自分の記録が、誰かの役に立ちますように。

私とロードと恩師の話~潤さんが鳴子君じゃなければ、私は競輪学校には絶対に受かっていなかった~

まずは昔の自転車の話から

子どもの私は運動音痴の運動嫌いだったが、
自転車だけは好きだった。

小学校低学年の時に、通学路の坂道を立ち漕ぎで登っていく上級生の男子を見て、
自分も足をつかずにこの坂道を登り切りたい!
と夢見て、実際に達成した時にはとても嬉しかったことを覚えている。

たしか地元の小学校に、高学年になるまで自転車で家から遠くに行ってはいけない
というルールがあったので、それが解禁されてから時々思い付いた時に出掛けるようになった。

地元はマイカー通勤が当たり前の車社会で、徒歩10分でも車で移動するような風潮だが、
家族に車を出してもらわずに、
高低差の激しい道のりをママチャリで30分ほどかけて、自分の足で街まで出掛けるのがすごく好きだった。

そもそも家族には、
車で10分弱の距離をわざわざ自転車で何十分も掛けて行こうとすること自体が馬鹿だ
と言われていた。
強風の日も雨が降りそうな日も気にせず出掛けて、車で送ってあげるのに馬鹿だねと言われた。
女の子なのにとか、交通事故が危ないでしょとか、
色んな理由で反対されたが、そんなありきたりな理由には耳を貸さなかった。

事故と言えば一回だけ。

大学生の頃、帰省中に自転車で出掛けて帰りが遅くなったことがあり、
街灯がない道を、当時の愛車(水色のママチャリ)の前照灯の心許ない明かりだけで走っていた。
一ヶ所だけ歩道脇の植え込みがやけに出っ張っている場所があり、
その手前から下り坂に差し掛かったので、速度を落としてぶつからないように気を付けていた。
が、前籠に入った荷物が跳ねて飛び出しそうになったのを押さえた瞬間、
件の植え込みに突っ込んで、1回転。
衝撃で自転車のフロントフォークがねじ曲がって
押して歩くことも出来ない状態になり、前輪を持ち上げながら頑張って歩いて帰った。
という事件があった。
私本体には擦傷や軽い打撲以上の怪我はなかったが、
中学生の時から乗っていた愛車が大破したのが物凄くショックだった。

大学4年の時、地元大好きな私は、
学芸員の実習先に地元小学生の遠足の定番「アクアマリンふくしま」(県立海洋科学館)を希望し、
実習に行くことが決定した。
両親の通勤経路とは反対なので
自転車で通いたい!
と言って、大破した水色のママチャリに変わる新しいシルバーのママチャリを用意して貰って、
実習中は毎日その自転車でウキウキしながら通った。

ここまでの、21歳6ヵ月ぐらいまでの私は、
自転車≒ママチャリだった。
ロードバイクで走っている人は時々見かけるが、”スポーツ用の自転車”という認識で
「ロードバイク」という名称もよく知らなかった。

心のなかで師匠と呼ぶ人に出会う

研究室を辞めて半引きこもりだった大学3年生の私は、
3年生も間もなく終わる1月に一念発起し、
『脱・面接恐怖症』と『中学時代からの密かな夢を叶える』ために、
声優養成所に通うことを決意した。

駆け込みで何件か養成所を受けたが、
自己紹介で毎回毎回頭が真っ白になったし、
個別面談をされた時には本当に本当に駄目で面談中に泣いてしまったこともあったが、
それでもなんとか受かった。

そのなかで大手の、人がたくさんいるマンモス校な養成所に通った。

担当講師は固定で、私のクラスの講師は福島潤さんだった。

講師と生徒というよりも、先輩と後輩として接してほしいということを最初のレッスンで話されたので、皆「福島先生」ではなく「潤さん」と呼んでいる。

潤さんは、声優としての仕事が大好きだと公言して憚らず、声優が楽しくて楽しくて仕方がないと語る人で、
私がいままで会った声優―――その後の専門学校で教わったたくさんの現役声優の方たちを含めても、3本の指に入るほど生き生きとしたオーラが輝いている人間だ。

更には面倒見が良い兄貴分で、生徒たちの相談も真面目に聞いて真摯に答えてくれるというところにも、憧れずにはいられない。

声優が楽しいということだけでなく、人生で大切な色々なことを教わった。

潤さんは授業でよくニーチェの名言を紹介してくれて、
特に「1日の終わりに反省しない」は、
ネガティブなことを考える度に何度も何度も思い出して元気を貰っている。

当時の潤さんは、
アクエリオンEVOLでキーキャラクターのジンから、
琴浦さんでダブル主人公の真鍋を演じた直後で、
最近勢いに乗っている声優として知名度がぐんぐん上がってきた頃だった。

そして私が教わっている時に、アニメ弱虫ペダルの一期が始まった。

弱虫ペダルは、高校の男子自転車競技部を題材にした漫画で、
ファンがキャラクターと同じ自転車を買ったり、自転車競技の女子人口が増えたりしたことで
一時期とても話題になっていたので、アニメか自転車に興味がある人なら知ってる人も多いかと思う。

潤さんの役は、
関西から主人公の学校の同じ学年に転入してきた赤い少年、鳴子くん。

当時、関西出身の生徒たちにも、出身地域毎に微妙に違うアクセントやイントネーションを
あれこれと聞き取り調査していたことがあって、
これがプロの役作りか、と感動したことを覚えている。

当時バスケを題材にしたジャンプ原作アニメがとても流行っていたが、
スポーツ物にも男子にも興味がなかったので見ていなかったし、
その翌年流行ったバレーのアニメも見ていないが、
師匠<せんせい>の活躍を見なくては!
と毎週リアルタイムでテレビにかじりついて観ていた(笑)

見始めた動機はさておき、
前述の通り自転車に乗るのはすごく好きだ。
ママチャリとロードバイクは全然違うという話を聞いているうちに、
軽快に飛ばしスイスイと坂を登る描写を見ているうちに、
ちょっと乗ってみたいと思い始めるのは仕方のないことだと思う。

次に自転車を買うことがあったらロードバイクにしようと決めた。

そしてロードバイクを買う

弱虫ペダル一期を見終わって約2年後、
私は引っ越しで屋根付きの駐輪スペースを手に入れたので、
自転車を―――念願だったロードバイクを買うことにした。

その間に、潤さんが鳴子くんとお揃いの赤いピナレロを盗まれた事件を耳にしたことは、ちょっとしたトラウマだ。

盗まれないようなノーブランドで、
かつ盗まれても懐が痛まないように出来る限り安いのにしようと考えた。

ギア数は要らないけどフレームはクロモリにしたい、
などと取捨選択していった結果、
10万もしないWレバーのレトロ風ロードバイクを選んだ。

徒歩30分ぐらいの場所で購入したので、
そのまま乗って帰りますと言って、
齢24にして生まれてはじめてロードバイクに乗った。

ギアの変え方がよく分からず、
軽すぎて空回ったり、下ハンドルと乗車姿勢に戸惑ったりして、
ふらふら運転で帰ったあの時のことはきっと一生忘れられない。
本体の軽さとスピードに感動した。
そして股間が痛かった(笑)
サドル細すぎっ

お金が尽きたときは、交通費を浮かすためにロードバイクで
片道10キロを毎週せっせと移動した。
徒歩で通っているところに遅刻しそうな時は、
ロードバイクを全速力でかっ飛ばした。

食費を削ってまで声優の勉強につぎ込んでいたので、
競技用自転車を買って趣味でレースに出る気は起きなかったが、
競輪学校を受けてみるくらいならば、と思えるほどには(※)、
スポーツタイプの自転車で出せるスピードに惚れ込んでいた。
※学校は貸し出しではなく、全員自分の自転車を持参しなければならないと知ったのは二次試験の試験中。

競輪学校の受験についてはこちらの記事で
26歳OLが競輪学校を受験して受かった話をしようまとめ

選択について振り替える

もし私が、受かった養成所の中からその養成所を選んでいなかったら、

もし私が親に食い下がって説得して
クラス変更せずに最初に案内されたクラスで入所していたら、

潤さんに会って学ぶことはなかった。

もし潤さんが鳴子くんを演じていなかったら、

私は基本、男だらけのスポーツアニメに一切興味がないので、

間違いなく弱虫ペダルを見なかった。

弱虫ペダルを見ていなければ、

多分私はいまだに自転車と言えばママチャリで、

ロードバイクには乗ったこともない人生だった可能性が高い。

潤さんに学んでいなかったら

声優という職業がこんなにも楽しそうに見えなかっただろうし、

貧乏生活をしてまで練習を続けたいと思うほどの強い思いは抱けなかったと思う。

交通費を削ってレッスン費を捻出するため、

なかば執念だけで徒歩と自転車の節約生活をしていなければ、

ただただ年齢と共に体力が落ちて、

競輪学校には受からなかったと断言できる。

たったひとつ何かが欠けても、
この人生にはならなかった。

反省したいことはやっぱりどうしてもあるけど、後悔はない。

コメント