自分の記録が、誰かの役に立ちますように。

10月から勤めている会社

9月末で2年半所属した派遣会社を辞めることを決め、
8月に競輪学校の願書を「今年は間に合うから」というだけで勢いで出し、
とりあえず9月中から手探りで転職活動を始めてみることにした。

転職活動を最優先していいから決まるまで残ったら?金銭的にも大丈夫?と当時の上司(同じ派遣会社のSV)は言ってくれたが、
追い込まれないと本気を出せない性格なのでお断りし、10月から無職の予定になった。

転職先の希望は、
資格を取らせてくれる正社員
将来性のある会社
ということのみ。
業種は決めていなかった。

そもそも私は、大学卒業時と専門卒業時とで通算二回、正社員としての就活に失敗している。
一度目は、自分のアピールできる部分もやりたいことも見つからず面接が苦手で心が折れ、
二度目は騙されてアルバイトで使い捨てられた………
いくら声優の勉強とイベントスタッフとコールセンターでコミュ力を上げたと言っても、マイナスが相殺されただけ。
未だに焦ると、 わざと聞き取りづらいようにモゴモゴ喋る癖はあるし、自信もない。
それに、7月に試しに行った二件の転職エージェントでは「派遣は職務経験になりません」とばっさり言われ、現職と同じコールセンターしか勧めて貰えなかった。
まともな転職先がすぐ見付かるとは思えず、失業手当を貰いながらの長期戦を覚悟していた。

秋採用というものが世の中にはあった。

大学に9月卒業という制度があることは知っていても、9月卒に向けて10月からの新人採用をしている企業があることはこの時まで知らなかった。

若者向け就活エージェントを通して参加した一社目の会社説明会は新卒と第二新卒ばかりで、
嫌でも5年前の学生時代の就活を思い出した。
あの時とは違うんだ、と強く念じた。
希望に満ちた20代前半の子達が初々しく、私も当時はこんな様子だったのかなぁと思った。
説明会後の一次選考で、数年ぶりにガチなSPIを受けた。
現役には負けただろうなーと言う予想を裏切って選考を進み、

その一社目に内定した。

受けている時の印象としては、
人事に関わる人たちが皆とてもフランクで善い人たちで、休憩室が変わっていて、とても面白そうな会社だと感じた。

職場の良し悪しは、その場にいる人間の善し悪しで決まるので、
新しい会社にヤバいひとがいたらどうしようかととても不安だったが、ここならきっと大丈夫だ!と直感的にそう思った。

そして、内定承諾に前後して競輪学校の一次試験に行った。
一発で素晴らしい会社から内定が貰えたということで気分は最高。
落ちたところで何のダメージもないのでのびのびした気分で試験を受けられた。

その後9月30日付で派遣会社を退職し、
翌10月1日の台風の日に入社。

新人研修のスケジュールが発表され、そのあまりのボリュームに、
大企業でもないのにこんなにしっかりと勉強させてくれるのか!
と驚き、自分のなかで更に会社の評価が爆上がったことを覚えている。

新しいことの勉強で毎日が楽しく、一次試験の合格発表など半ば頭から消し飛んでいた。
受かってなければいいのにとすら思った瞬間もあった。

1ヶ月半後、3ヶ月間の研修を間もなく折り返すというところで、
一次試験合格の報が入った。

二次試験に行くか、正直とても迷った。
入社前はただの直感だったが、実際に入社してみても悪い人が誰もいなくて、とても居心地が良い会社だったのだ。

それでも、競輪学校はいま受けないと、後できっと後悔する。

受けるだけ受けて、落ちて、そして「いやぁ実は俺新入社員の時に、研修サボって競輪学校の二次試験を受けに行ったことがあるんだよ。あの時は若かったなぁ」なんて後のアホな武勇伝にしよう。

そんな気持ちで、受けることを決めた。

受けることを決めたは良いものの、会社を休めない状態で二次試験前に提出する書類を2週間ほどで集め切るのにはかなり苦労した。
もし本気で集めにかかっても集まらなかったら、受けるなという暗示なんだろうなと思ったほどだ。

委任状を書いて平日休みの友人に運転記録証明書の申請を頼み、綿密に移動時間を計算した上で、出勤前に鮫洲運転免許センターまで受け取りに行ったのが一番大変だった。
読み通りギリギリ2分前で遅刻しなかった。

無事提出してほっとしたのも束の間。

二次試験は平日2日間で、受付時刻は会社の始業1時間半も前。
どうやっても会社に仮病の連絡が入れられないことに気が付く。
入ったばかりで有給なんてものはない。

その時私は真っ正面から、
個人的な用事で二日間休ませてください、と告げた。
理由の詳細を聞かれ、愚かにも競輪学校の話をした。

人事の人たちは大変に呆れていたと思うが「デビューしたら車券を買うよ」と表面上はとても面白がってくれて、救われた。
一度入社したからには、どんなにバカだろうと会社の仲間だと思ってくれている、と考えていいのだろうか。
何度も何度も頭を下げて、身勝手で申し訳ありません、ありがとうございますという他なかった。

そのあと呼び出されて注意事項として「ただし、まだ有給がないから社内規定で始末書だからね」という言葉を言われた時にはもう、始末書は準備済みだった。
『二度と新人研修を疎かにしない』と誓う文面にした。

そんな経緯で始末書まで書いて受けに行った二次試験は、場違い極まりなかった。
休んでまで来たのだからと全力で頑張ったが、これはもうホントに落ちたな、と思った。

合格発表の日は朝から「落ちました!これからも末永くよろしくお願いします!(笑)」と人事の人に晴れやかに言おう、とか「実はあの時の謎の休み競輪学校受けに行ったんだよね(笑)」と同期にラインしよう、とかシチュエーションと言葉を色々と考えていた。

現実には人事部門のトップに「受かっちゃいました」と震える手でスマホの仮面を出して見せ、合格者にある自分の名前を指差したのだが。

「どうしたい?」と言われたが、
頭のなかがぐるぐるしていて即答出来なかった。

ずっと会社員にはなりたくなくて、会社なんて結局どこも同じだと思っていた私が、そこにいる人だけでなく所属する会社自体に、はじめて確かな愛着を感じていた。
既にここが私の会社で、この会社に貢献したいと強く思っていた。

私がどれほどこの会社に救われたか、きっと他の誰にも分からないだろう。

どうしたいのか、どうすべきなのか、どうするのが一番良いのか、ひたすら考えた。

これも運命なのだろう。
それも、文句なく最後のチャンスだ。
いまやらなければ、一生後悔するような事態になる。
でもまだ、会社に、研修費分も貢献できてない。
拾ってもらった恩は返したい。
ITに対する適性は自分で思っていたよりもかなり高くて、いまの仕事はとても楽く、辞めずにただ日々を精一杯勤めているだけで、数年で確実に会社に貢献できるのは間違いない。
その数年後には、恩は返せていても、もう競輪の道には進めないだろう。

週明け、人事部門のトップに改めて
「会社は関係なく、太さんはどうしたいの?」と問われ
「申し訳ありません。辞めます。」と答えた。
退職日を確認して、申し訳ありませんと頭を下げた。

その後もどうやって恩返しをしようと考え、たどり着いたのは、
選手として有名になって、うちの会社の名前を有名にする!
ということだった。
勿論、辞めるその日まで全力で仕事をして、綺麗に引き継ぎが出来るように業務資料をまとめるつもりだ。

役職者には事情と退職の報が既に伝わっていて、飲み会のあと、執行役員が「頑張れよ」と言ってくれた。
「頑張って有名になったら、うちの会社をPRします!」と返したら、帰国子女らしい発音での定番のFワードと、お叱りが返ってきた。
「会社だなんだとそんなこと考えずに、とにかく頑張れよ!」
他にもとても良いことを言ってくれたが、それはあえてここには書かずに置きたい。

この会社に入れて本当に良かった。

入社して1か月半後に「競輪学校の二次試験を受けに行きたいんです」とか言い出したアホで非常識極まりない私を、
少なくとも表面上は嫌な顔せず試験に送り出してくれた上、
研修終了後も試用期間を伸ばさず正式雇用してくれた会社には、
本当に本当に頭が上がりません。
出来得る限りの内部にいるうちに恩返しをしたいと、辞めるその日まで全力で仕事をする所存です!
この後、このホームページがある程度整ったらリンクを貼る予定です。

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